多聞寺とは
青い広大な海に面し後ろは緑生い茂る山に囲まれ、
冬は暖かく夏は涼しい温暖な気候の南房総鴨川市にある、
創建以来700年の歴史を持つ日蓮宗寺院です。
霊鷲山に出づ
「法華経如来寿量品第十六」
「霊鷲山」はインドに実在する山で、お釈迦さまはここで『法華経』を説かれました。
お経に「そこは平和で風光美しく、花は咲き乱れ色々の果実が実り、鳥は歌い蝶が舞っている。
大勢の人々が楽しく生活し、香しい風がそよぎどこからともなく妙なる音楽が流れてくる。」
と随所にあり、「ここに住む人々が真実を求めてお題目の信仰につとめるならば、
お釈迦さまは弟子たちを連れてここに現れる。」と述べられたお経です。
多聞寺はお堂に参拝し境内を歩くだけで心が洗われる、お釈迦さまのやすらぎを感じられるお寺を目指しています。
世知辛い世の中でせめてお寺はこの世のやすらぎの世界を想わせる場でありたいと願い、
心願成就と信心修行、永遠のやすらぎ終の棲家となるよう日々励んでおります。
『県寺明細』に「日蓮聖人弟子大浦坊日祐聖人正中二乙丑(1325)年3月開創」とありこれをはじまりとしています。
一方伝説では、文永元(1264)年 8月、宗祖日蓮聖人鎌倉遊学より故郷小湊へお帰りの途中、浜荻の地にさしかかれたとき、
うつくしき童子が御前にあらわれ「一夜の宿をご供養いたします。」と当寺にみちびき住職に引き合わすとともに姿を消しました。
宗祖は住職に当寺の御本尊をおたずねになると「毘沙門天である。」とのこと。
宗祖は「毘沙門天-童子に変じてのご供養」と感謝のお経を毘沙門天にお供えになりました。
その夜、住職は、寺におとずれた土地の郷土 北浦忠吾·忠内兄弟とともに宗祖に教えをいただき、宗祖の教えに感銘をうけ、
両人とともに即座に信をあらため、天台宗より日蓮宗に改宗し、「南無妙法蓮華経」の音声ひびく寺院となりました。
この時、宗祖のおしえを聞いた北浦忠吾·忠内兄弟こそ、日蓮聖人四大法難のひとつ「小松原法難」で、地頭 東條景信の毒刀より宗祖をお救いした方々です。
「毘沙門天-童子に変じ日蓮聖人お出迎えの縁」毘沙門天の別名『多聞天』の御名をたまわり『多聞寺』と改称しました。
おまつりしている仏さま
日蓮大菩薩
日蓮大菩薩
日蓮宗宗祖。
当地において疫病が流行し数多くの住民が病によって命を落としました。
困り果てた住民は日蓮聖人に救いを求めると、姥が池に経石を沈め祈祷しその水を病者に飲ませました。するとたちまちに病が治った。という言い伝えがあります。
「万病平癒の祖師」と信仰されています。
毘沙門天
毘沙門天
日蓮聖人お出迎え毘沙門天。安房七福神の一。開運勝利の軍神として戦国武将に信仰されました。
毘沙門天は仏教を悪から守る護法善神と呼ばれる守護神で北の方角を守る神様です。
財宝の神様でもあり、「仏説毘沙門天王功徳経」というお経には、毘沙門天の住む天敬城では1日に3度も焼き捨てるほどの財宝や福が湧き出しており、毘沙門天に帰依をすればこの福を授かることができると説かれています。
おもどりの二十三夜さま
おもどりの二十三夜さま
二十三夜尊大月天王。
当地の氏神である「貴船神社」にお祀りされていましたが、「もとは多聞寺にお祀りされていた神さま、多聞寺にお返しするべき」と総代·氏子で話し合いがなされ多聞寺におもどりになりました。
このご縁により、「おもどりの二十三夜さま」とお祀りされ、「無くしたもの、大切なものがもどってくる。」と良縁のご利益と信仰されています。
「二十三夜さま」は、お月さまを神格化した神さまで「当病平癒」のご利益と信仰されています。
体の個所の漢字には「ニクヅキ」と言って「月」が付くものが多く、これは体を清浄にする力が「月」にあるとされていたからです。
創洗いの井戸
創洗いの井戸
北浦忠吾忠内館に姥が池あり、日蓮聖人が小松原法難で受けられた眉間の傷を洗い流し手当てをしました。
房総一帯で疫病(咳の病)流行のとき忠吾・忠内は聖人に疫病平愈を嘆願し、聖人は姥が池に経石を沈め病に悩む人に水を与えよと仰せになりました。病者はこの水を服すると霊験あらたか病は治りました。明応の大津波により「姥が池」は土砂にうもれてしまい改修し井戸に改めました。
北浦忠吾·忠内 両御内室墓所
北浦忠吾·忠内 両御内室墓所
多聞寺の開基。この地の郷士。
日蓮聖人四大法難のひとつ「小松原法難」で日蓮聖人をお救いし難からのがれました。
多聞寺の行事
毘沙門天大祭
2月 第4日曜日
「仏は毘沙門に勅して 天兵を領して界を守り国土を擁護すべしと告げられたり」本年1年の開運勝利·心願成就を「日蓮聖人お出迎え毘沙門天」にご祈念します。
日蓮宗大荒行堂成満された荒行僧に御祈祷をいただきます。
彼岸会
3月 春分の日/9月 秋分の日
彼岸会
3月 春分の日/9月 秋分の日
「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、すごしやすい季節を選んで仏道修行週間とさだめ、先祖供養はもとより自身の修行にはげむことが「お彼岸」です。
「彼岸」とは仏事行事をあらわす言葉ではなく、「仏さまの世界」をあらわす言葉です。何よりも大切なことは
「仏をめざす」ということです。
花まつり
4月8日
花まつり
4月8日
お釈迦さまの誕生日をお祝いします。
多聞寺の花御堂は、この時期房総でさきみだれる「菜の花」を屋根にかざり誕生仏を安置します。
お釈迦さまが誕生したとき甘露の法雨がふり浄めた故事にならい、誕生仏に甘茶をかけてお祝いし、日頃のご守護に感謝します。
盂蘭盆施餓鬼会
8月16日
盂蘭盆施餓鬼会
8月16日
お盆とは、お釈迦さまの十大弟子のひとり目連尊者が、餓鬼道におちて苦しむ母を救おうとしたことを説いた『盂蘭盆経』にもとづいた行事です。
お盆とは亡き人への追善供養にとどまり先祖供養のための行事に見受けられます。
しかしながら、亡き人をしのぶだけではなく、いのちの歴史のふかさを確かめ、今あるありがたきいのち、ふつうにおとずれるありがたき日常に感謝する行事です。
日蓮聖人報恩お会式
11月3日
日蓮聖人のご命日、10月13日前後に日蓮聖人の恩にむくいおこなう法要です。
お会式は、日蓮聖人のご入滅を悲しむというよりは、「日蓮聖人のみ教えのお陰で今日の自分があるんだ」という『歓喜の姿』のあらわれです。
一年に一度の日蓮聖人とお会いできるありがたい日です。
川瀬巴水 作 「房州鴨川」
川瀬巴水 作 「房州鴨川」
川瀬巴水は大正から昭和にかけて活躍した木版画家です。 近代化の波が押し寄せ街や風景がめまぐるしく変貌していく時代に、 日本の原風景を求めて全国を旅し庶民の生活が息づく四季折々の風景を描きました。 新たな色彩や表現に挑み続け「新版画」を牽引する存在でした。 この版画は川瀬巴水が多聞寺本堂から海を眺めた風景です。 1年に1回、「日蓮聖人報恩お会式」の11月3日に展示します。
除夜の鐘
12月31日
多聞寺では「ゆく年に感謝 来る年に願い」のひとり2回鐘をつきます。
梵鐘の音は、深夜の静寂な空気とあいまって心にしみわたるような気がします。
鐘をつくことで魂が共鳴し洗われるような気持ちになります。
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